コロナの時代の疫病退散

お祭りの原型?
虫送り、というような言葉もあるようです。
農村では、害虫を鉦や太鼓などで追い払う虫送りの行事が行われ、都市部では疫病除けと悪霊退散を祈り、山車(だし)や屋台(やたい)・神輿(みこし)などが練り歩く祭りが盛大に行われ、ともに夏祭りの原形となりました。

三宅町を通る聖徳太子が、法隆寺から飛鳥へ通ったという太子道(筋違い道 すじかいみち)沿いには、屏風の杵築神社(きつきじんじゃ)と伴堂の杵築神社があり、ともに祭神は、素盞鳴尊(スサノオノミコト)で古くより悪事災難悪魔祓いの神として疫病退散、万病回復の御神徳を持つ神として信仰されています。
有名な祇園祭は、この素盞鳴尊(スサノオノミコト)の祭りで、疫病退散、万病回復、特に夏期に多い伝染病や食生活に起こる病気の退散を祈願する祭りです。

ということで、コロナの時代に、疫病退散にお参りにいかがでしょうか?

“コロナの時代の疫病退散” への7件の返信

  1. 疫病の流行は、古代からくり返されてきた。現在では、その原因が医学的に突き止められ、ウイルスや細菌の仕業であることが明らかになってはきたものの、昔は、その原因をつかむことができず、人々はその終熄を神仏に祈るしかなかった。

     日本の場合、興味深いのは、疫病をもたらす存在が神仏として祀られ、疫病除けのご利益を期待されてきたことである。

     今回も、厄病除けの妖怪として「アマビエ」に注目が集まった。

  2. さまざまな厄病除けの護符が作られてきたのも、それだけ多くの厄病が流行したからだが、護符の元祖ということになると、「元三大師」があげられる。

  3. 厄病除けの護符としてもっとも古くから用いられていた可能性があるのが、蘇民将来の札である。これは、木札や角柱などさまざまなものに「蘇民将来之子孫家之門」と書き記しておくものである。

     これは、武塔天神という北海の神が、嫁を探すために南海を訪れたとき、将来を名乗る兄弟と出会い、宿を乞うたときの話である。金持ちの兄、巨旦将来はそれを拒否したのに、貧しい弟の蘇民将来が泊めてくれた。そのため、自分はスサノオの命なので、疫病が流行したときには、蘇民将来の子孫だと言い、茅の輪を腰に着けていれば、それを免れることができると告げたというのだ。

     実は、8世紀の終わり、平安京の前の都になる長岡京からは、50点余りの蘇民将来札が発掘されている。奈良時代からすでに、それは護符として活用されていたのだった。

     護符として直接その姿が描かれることはないものの、厄病除けの世界においてスサノオの存在は大きい。スサノオは、武塔天神と習合しただけではなく、かつては京都の八坂神社の祭神だった牛頭天王とも習合しているからである。八坂神社の祭礼である祇園祭は、厄病除けとしてはじまった。現在の八坂神社の祭神は、スサノオである。

     牛頭天王は、結局の所正体の明らかでない存在である。描かれる際には、頭部に牛の頭を載せている。その姿は、角大師のように恐ろしい。

     牛頭天王と習合するスサノオは、皇祖神アマテラスの弟とされているが、「日本書紀」の一書では、新羅国に天下りし、曽尸茂梨(そしもり)というところに居たとされている。ソウルの東北東、約100キロメートルのところには、牛頭山という標高498メートルの山が存在する。

     となると、スサノオは、韓国に最初に現れた神ということになり、その点で興味深い。仏教の世界では、牛頭天王は、釈迦の僧坊のあった祇園精舎の守護神とされる。だからこそ、明治以前、牛頭天王を祭神とする八坂神社は祇園社と呼ばれていたわけである。今でも、八坂神社の御朱印は「祇園社」で、八坂神社と記したものはない。

  4.  ほかにも、『疫病退散』の本のなかでは、さまざまな護符についてふれた。天刑星、鍾馗、虎狼狸、件(くだん)、摩多羅神、源為朝、ヨゲンノトリ、加藤清正の手形、少彦名命、赤べこ、きぶな、犬子ひょうたんなどである。

     このうち、人面牛である件については、江戸時代、天保年間に出現したのがはじめだが、阪神淡路大震災や東日本大震災のおりには、目撃例がいくつか報じられた。今回は、まだ目撃されてはいないようだが、そのうち、どこかに現れるに違いない。

     コロナ・ウイルスの流行という事態を受けて、厄病除けの護符に描かれたさまざまな妖怪や怪異な存在が騒ぎ出した気配である。

     疫病の正体が、医学の発達によってウイルスや細菌によるものだと判明するまで、人々は、疫病はそうした存在によるもので、それを祀ることによって、退散してくれることを願っていた。

     疫病の正体が判明した現在では、そうした手立てが用いられることは少なくなった。しかし、コロナ・ウイルスについては、決定的な治療の方法が見出されたわけではなく、ワクチンの開発も完成に至ってはいない。

     その分、私たちは、ただただ感染の拡大を恐れるしかない状況におかれている。心理的な面を考えたとき、疫病を神として祀る方が、はるかに安心をもたらしてくれるのかもしれない。

     疫病の流行はくり返されたものの、しばらく時間が経てばおさまった。昔の人々は、そこに神として祀ることの効果があったと考えた。

     迷信に頼れなくなった現代の私たちの方が、はるかに混乱した状態におかれている。果たして私たちは、昔の人間より進歩しているのだろうか。護符の数々をながめていると、そんな気がしてくるのである。

  5. ハロウィンで仮装をする理由
    ハロウィンの日は、死者の霊の他にも悪魔や魔女たちも現世にやってくると考えられていました。
    悪霊たちから身を守ろうと悪魔や魔女の仲間のふりをするために仮装したのが始まりと言われています。

    ならば、コロナという悪霊がやってきているので、襲われないように仮装したっていいじゃない

  6. ハロウィンは、古代ケルト民族のドゥルイド教で行われていたサウィン祭が起源といわれています。古代ケルトでは、11月1日が新年とされ、大晦日にあたる10月31日の夜に先祖の霊が家族に会いに戻ってくると信じられていました。
    しかし、悪霊も一緒にやって来て、作物に悪い影響を与えたり、子どもをさらったり、現世の人間たちに悪いことをするといわれていました。
    そこで人々は悪霊を驚かせて追い払うことを思いつき、仮面をかぶったり、仮装をしたり、魔除けの焚き火を行ったといわれます。
    やがて、キリスト教圏へ広がりましたが、最近では宗教的な意味合いが薄れて大人と子どもが仮装をして楽しめるイベントになっています。

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