2018年5月9日 毎日新聞より
「小さく愛を咲かせて あざさ」
まさに今、咲き誇っています。
ホントにまぼろし? っていうくらい咲き誇っていますよ
日本発祥の地・愛の町・奈良県磯城郡三宅町
三宅町公式マスコットキャラクター「みやっぴぃ」が「ゆるキャラグランプリ2013」にエントリーしました。
町のPR、イメージアップにつなげていきたいと考えています。
ぜひ、皆さんも「みやっぴぃ」を応援し、携帯電話で投票してください。
♪投票は、11月8日(火)までです。
♪投票方法は、「ゆるキャラグランプリ2013公式サイト」でご確認ください。
http://www.yurugp.jp/index.php
————追記————–
「安心安全メール」というカテゴリーの記事は、公的機関(三宅町役場)発信のメールを自動掲載している記事だ。
そして、これも配信された内容をそのまま掲載したものだが、「ゆるキャラグランプリ2013」の結果がどうなったかご存じだろうか?
以下に報告を記載しておく(本来はお願いした所が結果報告の必要があると思うが、掲載させてもらっているのでここでやっておこう)
ゆるキャラグランプリ2013
http://www2.yurugp.jp/
結果発表から
応募総数
約1579数(1579位まで順位づけされていたが、同数タイがあるみたいで、本来の応募数はもう少し多いと思われる)
応募総数(奈良県でのエントリーは、15)
約1579数(1579位まで順位づけされていたが、同数タイがあるみたいで、本来の応募数はもう少し多いと思われる)
奈良県内順位3位のマーミン・ミーマン(所属:エコール・マミショッピングセンター)。いちショッピングモールのキャラクターに負けている時点で、安易なゆるキャラブームにのっかたことを猛省すべきだと思うのだがどうだろうか・・・という事で面白い企画を考えた。。。怖いもの知らずはどうぞ。パスワード[kofun]
日本書紀登場の幻の人工池「磐余池」は鎌倉時代に埋め立て? 奈良の遺跡で池底跡見つかる 2012.6.29 20:41
日本書紀などに登場しながら所在地が分からなかった人工池「磐余池(いわれいけ)」の推定地、奈良県橿原市東池尻町の遺跡から池底跡が見つかり、市教委が29日発表した。池が鎌倉時代の13世紀初めごろ埋め立てられたことも判明。市教委は「国内最古の人工池の変遷を知る貴重な成果」としている。
昨年の調査で堤跡の一部と大型建物跡が出土。日本書紀に聖徳太子の父、用明天皇(在位585~587年)が磐余池のほとりで宮を営んだとの記述があり、建物跡はその関連施設の可能性が指摘されている。
今回、池があったとされる堤の南側で池底跡とみられる堆積層を約80メートルに渡って確認。土の成分や出土した土器片などから、13世紀初めには埋められ水田になっていたことが判明した。
磐余池は、万葉集に収められた大津皇子(おおつのみこ=663~686年)の辞世の歌や、日本書紀に登場。清少納言も枕草子で代表的な池として紹介している。
磐余池をめぐっては、同県桜井市にあったとする研究者もおり、論争の決着はついていない。木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「天香具山(あまのかぐやま)に近い特別な場所で当初は用水と観賞を兼ねた池として整備され、宮が移された後は農地に転用されたのではないか」と話している。
現地は埋め戻されており、説明会はない。
◇
磐余池 日本書紀によると、5世紀前半に履中(りちゅう)天皇が造り、6世紀後半に用明天皇が近くで宮を営んだ。万葉集には謀反の罪で処刑された大津皇子の辞世の歌「ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨(かも)を 今日のみ見てや 雲(くも)隠(がく)りなむ」が残されている。
奈良盆地のほぼ中央に位置し、王家の食材を収穫する農地や食糧倉庫・屯倉(みやけ)がこの付近にあったという歴史的事実から、この地が「三宅」と名づけられたといわれています。
邪馬台国が桜井の纏向遺跡周辺であったとすると、このあたりは、当時の首都圏であり、平地のあちらこちらに散在する小型の前方後円墳は、当時の王家に関係する人々の墓と考えられています。
また、町内に残る国号地名(石見、三河、但馬)も、当時の中心地の一部であり、遠方から人々がこの周辺に集まって来ていたことをうかがわせています。
日本国の基礎となった邪馬台国時代の首都圏ということで、わが町・三宅は「日本発祥の地」と思っております。
また三宅町公式キャラクターの「みやっぴぃー」は、「あざさの花」をモチーフにしたもので、万葉集には「あざさの花」と共に三宅の地名が記されています。
面積は、奈良県で一番、全国でも第二位の小ささではありますが、古代からのでっかいロマンがあふれる由緒ある町です。