“愛の花 あざさの会” について

奈良県磯城郡三宅町は、
いわゆる大和国中(やまとのくんなか)といわれる大和の中央部の平野です。
ですので「大和のへそ?!」とも言われています。
全国で2番目に面積が小さな町です(ちなみに1番は大阪府忠岡町)
奈良県内では、一番ちいさな町です!

町のシンボルとあざさの歴史

町の花(八重桜、あざさの花) 町の木(キンモクセイ)

2009年10月
  三宅町の町花と認定

2009年10月1日
  町ゆかりの万葉花「あざさ」をイメージした新しい
  公式マスコットキャラクター「みやっぴぃ」完成  


有志によりPVも作成されました
参加してくれた子供たちも成長してるだろうな・・・・
ちなみに歌で「ひーふーみやけ」と言っている子は、平成30年で小学6年生ということです!)

2010年
  奈良県の平城遷都1300年祭で予算が付けられて、
  町内に希望者のみプランターにあざさの苗を配布

2010年以降現在
  町内に庭園あり、ボランティアメンバー17名で中心に
  草取り、藻取り、水補給等を活動している

2011年
  地域花いっぱい運動事業で、あざさの庭園も作成

2016年                    
  あざさの花を頭につけて、忍性菩薩を尊敬する
  公式マスコットキャラクター「みやぼう」完成    

2016年6月5日
  兵庫県稲美町天満大池に研修会

PR活動
三宅町に訪れた観光客にあざさの苗を
プラスティック容器に入れ無料配布(担当:政策推進課)
愛の花 あざさの会ではイベントなどで、あざさ饅頭、クッキー、
リース、ブローチ、缶バッチなどを販売してPR活動を実施。


           
クッキー  クッキー   リース   饅頭 ブローチ 缶バッチ
         

三宅町の名前の由来「三宅の原」
万葉集に出てくる三宅ヶ原が、古代天皇の稲作の御料地
「屯倉(みやけ)」「屯田(みた)」と考えるなら、現在の三宅町及びその近傍が、三宅の原と呼ばれていたと考えられる

万葉集 巻十三 三二九六
三宅の原で咲いていた
あざさの花を詠んだ愛の万葉歌
うちひさつ 三宅の原ゆ ひた土に 足踏みゆき
夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆえぞ
通はすも吾子 うべなうべな 母は知らじ うべなうべな
父は知らじ みなの腸か黒き髪に 真木綿もち 
あざさ結ひ垂れ 大和の黄楊の小櫛を 
抑へ挿す うらぐはし子 それぞわが妻
反歌
父母に 知らせぬ子ゆえ 三宅道の 
夏野の草を なづみくるかも
                 

三宅の原を通り、地面を一歩一歩踏みしめ、腰まで生い茂った深い
夏草をかき分けていったいどのような娘ごのために
通っているの。我が息子よ。そうでしょうとも、お母さんは知らないでしょう。
そうでしょうとも、
お父さんもしらないでしょう。豊かな黒髪に木綿で
あざさを結い垂らし、大和の黄楊の櫛で
押さえ挿している美しい娘、それが私の妻ですよ。

万葉集の読まれた時代も、
親が子供に「どんな子とつきあってるの?」
そんな心配はあったようです。

「三宅のその子は『あざさの花を髪に飾ったかわいい子』です」
って!!

こんなあざさの花をシンボルに普及に努めています。それが、愛の花 あさざの会です。

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