記紀万葉ウォーク 聖徳太子の足跡をたどる3

太子道を行く(三宅町)

今回のウォークのマップ

2014年2月23日、三宅町にウォークでお客さんが来られます!

太子道を行く(三宅町)

奈良新聞記事
奈良新聞記事

記紀万葉ウォークの一環です。
kikimanyouwalk[1]

聖徳太子ウォーク実行員会

電子書籍のマップがありました。資料にどうぞ
http://www.nara-ebooks.jp/actibook_data/20130213shikinosato/_SWF_Window.html

三宅町ゆるキャラ「みやっぴぃ」のデザイナー橘正泰 逝く

レア初期みやっぴぃ案

文責:森内哲也

三宅町のキャラクター「みやっぴぃ」のデザイン。および 絵本「太子道」の絵を描いてくれたグラフィックデザイナーの橘正泰(たちばな まさやす)氏が、2013年8月21日、長年患った腎不全から体調を崩し亡くなりました。
享年42歳。

2009-12-17奈良新聞
当時の記事(奈良新聞)

三宅町のゆるキャラを作りたいと、三宅町役場企画課の方より話を聞いて、知り合いの中で一番良いモノを生み出してくれるであろう橘に相談しました。しかし町は予算はなさそう。
橘は「面白そう」との返事でしたが、予算がないのに時間を割いてくれるのかはわかりません。
そこを説き伏せて力を貸してくれる事になりました。
(橘が腎不全を患っており透析をしている事は昔から知っていました。そして透析患者は平均寿命が短い事も。有能である彼が亡くなっても作品は生きるという思いがあった事も事実です。しかし、まさかこんなに早くその日が来るとは、その時は夢にも思っていませんでした)

町役場側は以前よりキャラクターを作りたいと思っていたらしくいくらかの案を見せてもらいました。
今ある案を発展させても良いかもしれないと思っていたのですが、コンセプトが弱いとも感じていました。そこで橘と相談。

以前からあったコンセプト・三宅を詠んだ万葉花である「あざさ」は入れるとして、もう一つ、奈良県一小さい町という事で「赤ちゃん」のイメージを追加することに決定。

そこからキャラクターのデザインが生み出されてゆきます。

レア初期みやっぴぃ案
初期みやっぴぃ案

ニュース記事にもあるように「ギザギザが特徴の黄色いあざさの花を頭にのせ」「赤ちゃんをイメージし、緑色のあざさの葉っぱの前掛けを着ける」
コンセプトもデザインも完璧である!
最後は、役場の方からも出されていたいくつかの候補をおりまぜた複数の中から多数決で選ばれました。
橘はどちらかというとスタイリッシュなデザインが得意だと思っていたのですが、こういうカワイイものもできるのだと感心したことを覚えています。
みやっぴぃ正面

2009年の夏から秋にかけての事でした。当時はまだ名前がなく「あざさチャン」と呼んでいたように思います。
この勢いで、プロモーションビデオを作ろうとなり、まずは私が音楽を作成。
それに合わせて、ダンスは三宅町出身の中学生と小学生が踊ってくれました。
自分たちで振り付けも考えるというスゴイものでした。
ビデオ撮影は橘も手伝ってくれました。
彼は、結婚式のビデオ撮影や、式や二次会で流す思い出ビデオの編集も仕事としていました。
このあたりも友達の仲という事で付き合ってくれました。

こういった縁があって、三宅町で町内の民話・昔話・いい伝えを絵本にするという話があがった時も、彼が手伝ってくれました。
2011年の事だったと思います。
その当時もあまり調子が良くなかったように記憶しています。絵本の第一弾「太子道(たいしみち)」が橘が絵を手掛け、絵本のレイアウトなども手がけてくれました。
当時の記事(奈良新聞)

2012年の年末から体調を崩し入院していたように思います。
「自分が弱っている姿を見せたくない」「元気な姿で会いたい」との思いからでしょう、「お見舞いに行く」というとやんわりと断っていました。
しかし幾度かメールで話もしました。
彼の生み出したキャラクターである「みやっぴぃ」には、やはり思い入れも強いようで、「頭の花びらのギザギザ」「体の丸み」「葉っぱの前掛けの曲線」など、あまり他人がいじくりまわすのはヨシとは思っていなかったようですが、やはりみんなに可愛がってもらいたいとも思っているようでした。
「6/16 15:02 橘 正泰 :
体調は良くはないんだ。でもそっちの先生が良くて、呼んでくれてるんでいってくるわ。著作権のほうも悪いけどたのんます。」
というメールのやり取りで終わっています。

悪用・商用はダメですが、極端なデザインの改変、以外は、自由に使って欲しいと思います。
しかし三宅町のキャラクターにもなっているので、三宅町を汚すような使い方は、当然、厳禁です。

橘の生んだキャラクターがみなさんに末永く愛されることを心より願っています。

みやっぴぃ ポーズ 案内2

みやっぴぃ ポーズ 案内1

みやっぴぃ ポーズ 歩く2

みやっぴぃ ポーズ 歩く1

みやっぴぃデータ

三宅に和風庭園完成(奈良新聞より 2011-10-14)

完成した「屯倉ケ原 和風庭園“あざさ”」三宅町伴堂

2011-10-14-奈良新聞
奈良新聞(2011-10-14)より
ソース元

三宅町の屯倉歴史遺産を守る会・あざさの花普及部会(池本房一代表)メンバーと町民有志ら7人が、同町伴堂の町中央公民館前に「屯倉ケ原 和風庭園“あざさ”」を造った。
万葉集に歌われた町花アザサを知ってもらおうと、同部会が7月から会議を開いて設計プランを作製。9月7日から1カ月かけて手作りで完成させた。

完成した「屯倉ケ原 和風庭園“あざさ”」三宅町伴堂
完成した「屯倉ケ原 和風庭園“あざさ”」=三宅町伴堂

三宅町の派出所の前のこの庭園はあります。ちょっとしたものですがイイ感じです。

※ここで提案!
この庭には、正面に実は小さな門があって、その門の奥には三宅町のマスコットである「みやっぴぃ」の小さな石像がいます。
「三宅に住む子供が3歳(くらいか?幼稚園の年齢がいいかも)になったら、子どもしか通れないこの門をくぐって、みやっぴぃと記念写真をとる」
「三宅に育った子供が元気で、家族の愛と男女の縁に恵まれて健康に育つ願いを込めた行事」
成人式ならぬ 子供の式典をぜひ町をあげてやって欲しい! と提案したところ一蹴されました・・・・
みなさんどう思います。あざさの花をモチーフにした赤ちゃんのみやっぴぃ。
子供は社会にとっても宝です。町をあげて子供を育む。小さな町だからこそ出来ると思う。
子供が大きくなった時この記念写真を見て思う「なんじゃこの写真」で、エピソードを語れば郷土愛も育つし・・・
あざさの花は、万葉集に詠われているように、男女の恋愛の象徴であり、家族の絆の象徴です・・・・いい企画だと思うのですが・・・・

ゆるキャラ「みやっぴぃ」

みやっぴぃデータ

「みやっぴぃ」は、平成21年に誕生しました。

万葉集に「三宅の原にあざさの花が咲いていた」と詠われる「あざさの花」と 奈良県一小さい町から「赤ちゃん」というイメージで考案されました。
名前は、公募し、三宅町学校の生徒が付けてくれたものが選ばれました。
「三宅からハッピーを届けたい!」とか「三宅に来た人がハッピーになって欲しい」
「キューピーちゃん」見たいな長く愛されるキャラクター というようなイメージで、
「みやけ」 + 「はっぴぃ」 との事で考えてくれた名前だったと思います。

↓ 動画があったのでリンクしておきます

歌やダンスも町内の人たちが中心になって制作されたようです。
一度、町内の文化祭のオープニングで新しい試みとの事で「三宅を宣伝してくれている彼女たちにオープニングで実際にダンスをしてもらおう」という意見が出たのですが、「彼女たちを出すと他の団体も出さないといけなくなる」というような意見のもと計画が消えたらしい。大丈夫か?三宅町・・・
「みやっぴ」データです。(広報、サイトからスキャンしました)

みやっぴぃの活躍は、こちら(三宅町役場サイト)でも掲載されているようです。
また「みやっぴぃ」の出演依頼は、三宅町役場で受け付けているようです。

みやっぴぃ

あざさの花が咲いている

ひー ふー ひー ふー み・や・け
1.
「大和は国のまほろば」で「たたなづく青垣 山こもる」
奈良の盆地の国中(くんなか)が、僕の住むところ
昔 万葉人もここにを訪れた
「三宅道(みやけじ)の 夏野の草を なづみ来るかも」
「うらぐはし子」が住んでいる 三宅之原に
黄色いあざさの花が、今日もかわいく咲いている
あざさの花が咲いている。今も変わらず咲いている

2.
雨の降る日や風の日も 学生たちがこの道を
学校へと通う道 太子道と言う
昔、聖徳太子が 法隆寺へと
愛馬の黒駒に乗ってこの道を行った
いとおしい子供らが住む 三宅の町に
黄色いあざさの花が、今も元気に咲いている
あざさの花が咲いている。昔と変わらず咲いている

3.
今は離れて暮らすけど、たまに帰って来るんだと
それじゃまたねと手を振った 故郷の人
昔一緒に見た景色、変わったかもね
君を思う気持ちは変わらないけれど
なつかしいあの人が住む 三宅の町に
黄色いあざさの花が、今年もきっと咲き誇る
愛すべき人たちが住む 三宅の町に
黄色いあざさの花が、小さいけれども咲き誇る

あざさの花が咲いている。今も変わらす咲いている
あざさの花が咲いている。昔と変わらず咲いている。

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