東屏風 : 8/4 (土曜日)
伴堂二丁目: 8/18(土曜日)
2012年8月25日(土) 流しそうめん
みやけまち作りの会より
例年通り、流しそうめんのお手伝いをします。
日時 8月25日(午前中~お昼)
場所 例年通り中央公民館
内容 ながしソーメン、竹・木工細工・折り紙(別途検討)
田原本警察より防犯OR交通安全の講習
役割分担
チラシ作成、配布(7/18)、名簿作成・・・事務局
竹取り・・・まちづくりの会(日程未定)
会場設営(当日)・・・まちづくりの会
の予定
ご協力下さい
日本書紀登場の幻の人工池「磐余池」は鎌倉時代に埋め立て?(net産経新聞より)2012-06-29
日本書紀登場の幻の人工池「磐余池」は鎌倉時代に埋め立て? 奈良の遺跡で池底跡見つかる 2012.6.29 20:41
日本書紀などに登場しながら所在地が分からなかった人工池「磐余池(いわれいけ)」の推定地、奈良県橿原市東池尻町の遺跡から池底跡が見つかり、市教委が29日発表した。池が鎌倉時代の13世紀初めごろ埋め立てられたことも判明。市教委は「国内最古の人工池の変遷を知る貴重な成果」としている。
昨年の調査で堤跡の一部と大型建物跡が出土。日本書紀に聖徳太子の父、用明天皇(在位585~587年)が磐余池のほとりで宮を営んだとの記述があり、建物跡はその関連施設の可能性が指摘されている。
今回、池があったとされる堤の南側で池底跡とみられる堆積層を約80メートルに渡って確認。土の成分や出土した土器片などから、13世紀初めには埋められ水田になっていたことが判明した。
磐余池は、万葉集に収められた大津皇子(おおつのみこ=663~686年)の辞世の歌や、日本書紀に登場。清少納言も枕草子で代表的な池として紹介している。
磐余池をめぐっては、同県桜井市にあったとする研究者もおり、論争の決着はついていない。木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「天香具山(あまのかぐやま)に近い特別な場所で当初は用水と観賞を兼ねた池として整備され、宮が移された後は農地に転用されたのではないか」と話している。
現地は埋め戻されており、説明会はない。
◇
磐余池 日本書紀によると、5世紀前半に履中(りちゅう)天皇が造り、6世紀後半に用明天皇が近くで宮を営んだ。万葉集には謀反の罪で処刑された大津皇子の辞世の歌「ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨(かも)を 今日のみ見てや 雲(くも)隠(がく)りなむ」が残されている。
倉庫(紙芝居データ みやっぴぃデータなど)
紙芝居用の厚紙は、100円ショップ(ダイソー)に売っている「厚紙A3用(445 x 306 mm、 厚さ 約400g/m2) 4枚入り」というものを使っています。
紙芝居ケースにぴったりのサイズです。
(有効範囲の大きさなどは上記の寸法を参照下さい)
紙芝居のデータです。
絵本を三宅町で無料配布しており、もらってきてスキャンしたものからUPしたいと思います。
「忍性さん」 | 紙芝居用(pdfファイル+Wordデータ) |
これは絵本になっていないようです。 動画がありました |
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「太子道」 | 紙芝居用(pdfファイル+Wordデータ) |
電子紙芝居用(PowerPointデータ) | |
「おうてくれ地蔵(石見)」 | 紙芝居用(pdfファイル+Wordデータ) |
電子紙芝居用(PowerPointデータ) | |
「雷の落ちない宮さん(小柳)」 | 紙芝居用(pdfファイル+Wordデータ) |
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「雨たんもれ 多度さん(但馬)」 | 紙芝居用(pdfファイル+Wordデータ) 約400MB |
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三宅 記紀万葉ウォーク
奈良県全域で行われている「記紀万葉ウォーク」
に、三宅ボランティアガイドもエントリーしました!!
詳細はまた後日正式発表されると思います。
現在分かっている情報を掲載します
開催日: | 平成24年11月15日(木曜日) |
コース: | 9:30~10:00 近鉄橿原線 石見駅(いわみ)スタート 万葉歌碑~太子道~忍性菩薩生誕地の碑~ 太子腰掛石~屏風の清水~三宅古墳群~ 昼食~ 雨乞い神社(多度さん) 14:30~15:00 近鉄西田原本線 但馬駅(たじま)解散 |
となっています。
とりあえず、申込が必要だったように思います。
申し込み先は:
『三宅町役場 産業振興課 産業振興グループ』
TEL: 0745-44-2001 内線128
FAX: 0745-43-0922
となっております
「事前申込不要」と変更になりました。
当日、近鉄石見駅で受付をしていただく事になりました
「何もない町」かもしれませんが、ずっと昔から ”暮らし” がありました。
万葉人が恋人を訪ねてやってきたり、聖徳太子が通った道があり、太子を出迎えた痕跡があり・・・・
そんな古代からの息づかいを感じていただけたらと思います。
精一杯のおもてなしをしたいと思っています。
当日は、万葉時代からこの地に咲いていたという「あざさの花」が見るかどうか微妙な季節ですが、
見れるとラッキーです!
家族の愛・恋人同士の愛情のシンボルでもある花ですので、ぜひ運試しも兼ねてご覧下さい。
三宅町を紹介
奈良盆地のほぼ中央に位置し、王家の食材を収穫する農地や食糧倉庫・屯倉(みやけ)がこの付近にあったという歴史的事実から、この地が「三宅」と名づけられたといわれています。
邪馬台国が桜井の纏向遺跡周辺であったとすると、このあたりは、当時の首都圏であり、平地のあちらこちらに散在する小型の前方後円墳は、当時の王家に関係する人々の墓と考えられています。
また、町内に残る国号地名(石見、三河、但馬)も、当時の中心地の一部であり、遠方から人々がこの周辺に集まって来ていたことをうかがわせています。
日本国の基礎となった邪馬台国時代の首都圏ということで、わが町・三宅は「日本発祥の地」と思っております。
また三宅町公式キャラクターの「みやっぴぃー」は、「あざさの花」をモチーフにしたもので、万葉集には「あざさの花」と共に三宅の地名が記されています。
面積は、奈良県で一番、全国でも第二位の小ささではありますが、古代からのでっかいロマンがあふれる由緒ある町です。
奈良新聞(WEB版)に掲載。スポーツフェスタ
奈良新聞(WEB版)に、スポーツフェスタの模様を取り上げていただいております。
http://www.nara-np.co.jp/20090928112530.html